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2005年8月

休館日

「ハリーさんのわくわく絵本ブックトーク」 これが連載している絵本レビューのタイトルです。”ブックトーク”とあるとおり、毎週一つのテーマに沿って3冊の絵本を紹介しています。

このところ、忙しかったせいで、ネタ切れを起こしていまして、”ヤバイっ!!”というわけで、今日はネタ探しに時間を費やしました。友だちにも電話して「ねぇ、秋って言えば何を思い出す?」  人と話をすると、いろいろ上がってきますね。

頭の中の絵本の在庫をしぼり、読みきかせの雑誌をひっくり返し、本屋さんでウロウロし、ネットで検索し…でもね、この作業が実はとても楽しいです。

1回に3冊紹介するのだけど、検討するのは6~7冊。行きつけの(飲み屋みたい)図書館にもあることを確認し、さて現物を借りに行きましょう!・・・おや、なんか自転車置き場が閑散と…。”き、休館日ぃ!?”

あぁ、図書館カレンダーを確認するべきだった。そっか、きょうは月末。ショックのあまり、近くの店で釜飯を食べてしまいました。(脈絡がない~)

私の住んでいる町の市長さん!年中無休24時間ライブラリー作ってください。市役所の隣を多目的広場にしないで、北関東最大の図書館を作ってください。ロト6が当たっても、図書館建てるには足りないなぁ。

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秘密

ロアルト・ダールの名作「チョコレート工場の秘密」、いよいよ映画公開ですね。CMが流れるたび、”チョコレートに入っている金券は、あんなんじゃねぇ~!”と叫ぶ長男です。彼は、もっと小さいものをイメージしていたみたい。本を先に読んだ者が少なからずひっかかるのは、「自分のイメージ」と「人が作ったイメージ」とのギャップ

本をあまり好きでない子に(読み慣れていない子)興味を持ってもらうため、アニメや映画が書籍になったものを手渡すという方法があります。例えばガンダムの本など。(角川スニーカー文庫)映像がすでに頭に入っているので、想像する努力が半分でいい。映像を文字でなぞっていくうちに、だんだんと本に対して慣れてくればしめたものです。

この本、おもしろかった。映画にしたら主人公は誰がいいかな、この役はどの俳優がいいかな…こんな想像をめぐらすことが出来るのも読書の醍醐味でしょうね。

「チョコレート工場の秘密」 見に行って、息子と意見を飛ばし合いますか。楽しみです。

                   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ところで、”秘密”といえば…。みなさん、なにかヒミツをお持ちですか?ヒミツをもってるって、なんだか楽しいよね。(後ろめたいのはダメですが)太宰治の「斜陽」に”他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものなのよ。”こんなくだりがありましたっけ。ふと思い出して、文庫本を引っ張り出してきました。(古い本だから1ページに18行あって、きゃ~、こんな小さい字よく読んでたわって、びっくりしたよ~)

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「大あらし」

「大あらし」(デイビッド・ウィーズナー/作 江國香織/訳 BL出版)

 勢力の大きな台風が通りましたね。みなさんのお住まいの地域はいかがでしたか?台風の過ぎた翌朝、道にはいろんな落とし物がありますね。うちでは、庭木の細いのが何本か折れて、落ちていました。子どもの時、台風って、なんだか一大イベントの様な気がして、ちょっとワクワク気分でした。レポーターのお姉さんみたいに、「今、私は、防波堤の側に立っています~、スゴイ風で…もう…立って…いられません。あ``~!!」あれをいっぺんやってみたかった。(今では、”何もわざわざあんなところに立たんでもよろしいがな!”とツッコミを入れてますけど)

                   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 台風一過の空。複雑な形の雲。絵の具から出したような「青」の空。それらを眺めつつ思い出した1冊が、ディビッド・ウィーズナーの「大あらし」

 文は必要ないほど「絵が語る」1冊。家族みんなで体を寄せ合って過ごした「大あらし」の次の日、庭を見ると、大きな木が倒れていました。その木にまたがって、デビッド&ジョージの兄弟は、空想の冒険旅行へ出かけます。ジャングル、大海原、宇宙へと。男子の方がこの本の魅力にひかれることと思います。(もちろん、昔少年だった大人の男の方も)

 わざと狭苦しいところへ入りたがる子どもの心情を、作者はよく捉えていて、大人は自分の子ども時代を思い出させてくれます。子どもは「いいなぁ、やってみたいよ」と羨望の眼差しをむけるでしょう。大木の隙間に入り込んで、紙パックの牛乳を飲むシーンがありますが、私の特に好きな場面です。

 夢中になって楽しんだ時間もつかの間。翌日には大木は片づけられてしまいます。なんて落胆の表情。この気持ち、子ども時代だけのものに違いありません。忘れていた気持ちに出会いたい方、ぜひ、読んでみてください。

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「スター☆ガール」

「スター☆ガール」 (ジェリー・スピネッリ/理論社)

 YA(ヤングアダルト)に力を入れている理論社からの1冊。2000年度「全米書店員が選ぶ一番好きだった小説」に選ばれる。(日本で言えば「本屋大賞」のようなもの?!)パラマウント社による映画化決定。現在進行中。

 マイカ高校に不思議な女の子が転入してきた。スターガールと名乗るその子は、奇抜なファッションで、ウクレレをかきならしながら、ハッピーな歌をうたう。無邪気で陽気なスターガールは、いつしか校内のアイドルに。しかし、チアリーダーとして、相手のチームにまで声援をおくった事件をきっかけに、その人気は急転落。スターガールは、みんなからシカトされる。ところが、スターガールは、へこたれない。あるダンスパーティーに姿をみせたスターガールは、だれの目もきにせずひとり楽しげに踊りつづけた。その姿に男子生徒たちはパートナーをわすれて、スターガールを取り囲むのだった。 (理論社ホームページよりhttp://www.rironsha.co.jp/index.html

 男子学生”レオ”と、風変わりな転校生、自称”スター☆ガール”。そして、それを取り巻く学生達。個性のかたまりであるスターガール(以後SG)は、始め、無邪気な天使のようだと歓迎される。彼女の無垢な、しかし、普通の人から見れば破天荒な考え方は、レオにとってとても魅力的に映っていた。だが、風変わりなSGに向けられた、周りの学生達の”異端者を排斥する目”が、自分へも向けられていると知ったとたん、レオの愛情は急速に小さくなる。彼女を「普通の人」にするため、まるで赤ん坊に言葉を教えるかのように一つずつ”世間”について教えるレオだったが、最後には憎しみすら覚えて、彼女から逃げ出していくのだ。”世界を敵に回してもボクは君の見方だ”と、彼は言い切れなかった。レオを責めることのできる人は少ないだろう。なぜなら自分だって、きっと、同じことをSGにするに違いないからだ。まぶしすぎる星を前にすると、目を伏せてしまうように。SGがレオの忠告に従って、普通であろうと努力する様は、天使の羽を無理矢理ねじ伏せて服の中にしまいこむように思えて、”struggle(もがく)”という単語が頭に浮かんだ。

 「ねぇ、SG。何もかもを自分のやり方でやるっていうわけにはいかないこともあるんだよ。ずっと学校に通ったことがなかったんだから、しょうがないかもしれないけど。人は誰でも、朝起きた瞬間から、世界中の他の人たちがどう思うのかを考えながらいきているんだよ。」

 SGはある日姿を消す。しかし、彼女に関わったすべての人の心に、消えない何かを確実に残した。大人になるにつれ忘れていく(忘れていくということすら気付かない)「無垢な心」、それはSGそのものなのだ。ダンス・パーティのような日常とかけ離れた空間で、いろんなしがらみを忘れ、心の底から楽しむ…そんな時、自分の中のSGが目を覚ますのかもしれない。

 絵本「ストライプ」(デビッド・シャノン)とは、逆の観点で描かれている。「スター☆ガール」は、楽しく読める。しかし、読み終わってしばらくすると、色々な考えがぐるぐると四六時中頭をかけめぐるのだ。これほど、本を閉じて後、様々な思いに取りつかれたものは珍しい。

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空には冴え冴えとした月。

  月夜よし 夜よしと人に 告げやらば 来てふに似たり 待たずしもあらず  (古今692 読み人知らず)   

   今夜は良い月夜だと、あの人にもし言ってやるならば、まるで”会いに来てください”と言うのと同じようなことになる。だから言い出しかねているのだが、そうかといって、あの人の来るのを待っていないわけではない。

…なんて、まわりくどい歌なんでしょう。

 おほかたの 秋のあはれを 思ひやれ 月に心は あくがれぬとも (紫式部集85)

  アナタに飽きられた晩秋のこの頃の悲しみをおもってみてください。今夜の月のように美しい方にあなたの心がうばわれていらっしゃるにしても

…こんな恨み言はいいたくないなぁ。

 月読の 光に来ませ あしひきの 山きへなりて 遠からなくに (万葉集670 湯原王)

  この月の光を頼りにおいで下さい。山が邪魔して 遠いというわけでもありませんのに

…プラス指向がいいですね、やっぱり!

「月」を題材にした絵本は山ほどありますが、私のお気に入りは「お月さまってどんなあじ?」(マイケル・グレイニエツ/セーラー出版)です。動物たちが肩車を(?)しあって、お月様へ手を伸ばし、ぱりんと割ってカケラをみんなで味見。それは自分の一番好きな味がしました…で終わるお話し。和紙をくしゃくしゃにしたような貼り絵が温かい雰囲気をかもし出し、メルヘンチックな1冊です。アナタにはどんな味?私は…今宵の月を眺めつ思うに、ちょっと苦いレモンドロップ味かしらね。

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眼鏡越しの空

タイトル見てピン!ときた方、います? ドリカムの初期のアルバムに入っている歌のタイトルです。今日、上の子の眼鏡を新しくするのにメガネ屋さんへ。なぜか、この歌を思い出しました。

♪ 図書館で借りた空の写真集 カードに強くてきれいなあなたの名前がある ♪

貸し出しカードに名前を書いていた時代もありましたね。バーコード管理の今、自分の前に誰が借りたなんてわからない。センパイの借りた本のカードに続けて自分の名を書く…それだけで胸がドキドキしていたあの時代。今の子って、そういうヒメゴト出来ないのかぁ。

♪ 背表紙の”三日月”だけが そんな私 知ってる ♪

よし!私もいっちょ載せるよ。お気に入りの空の写真を。これは、この間行った和田浦の朝焼けです。DSC01531

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待ち遠しい

早くカビがはえないかなぁ。待ち遠しい。朝、昼、晩とながめる食パン。

宿題の自由研究は「カビの実験」。 家のあちこちに、食パン。塩水、酢、漂白剤を吹き付けたもの、マーガリン付き、トーストしたもの、ただの食パン。高温、低温、ビニール袋入り。条件いろいろ変えまして、ただいま実験中。

カビちゃん、いらっしゃい。おそらく二度とない”熱烈歓迎”

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王様の一日

我が家では、年に一度「王様」になれる日があります。それは「誕生日」。うちの家族は、自分の誕生日を、それはそれは心待ちにしています。ちょっと「やかまし村の子どもたち」っぽいかもしれないな。(でもね、ベッドまでココアは運ばれて来ませんよ。)

突拍子もないお願い以外は、けっこう叶っちゃうんです。ま、子どもたちは、うちの経済状況をよく知っていますので、”身分相応”ってところのおねだりです。

誕生日の一番の楽しみは、プレゼント。そしてケーキ。我が家では、「王様」は、ケーキを切る権利を与えられるのです。自分の食べたい分だけ切っていいんですよ。上の子の時は、スゴイ切り方をされましたが、なんてったって「王様」ですから、文句は言いません。

いつまでこんな楽しい誕生日が家族そろっておくれるかな。あと何年かでしょうね。う~ん、ちょっとサビシイ…!

さて、今日は私がケーキを切る番です。うひゃひゃ、フルーツのところをガバッといただくとしましょうか。

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「西の魔女が死んだ」

「西の魔女が死んだ」 (梨木香歩・新潮文庫・400円) を読みました。

中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも…。(Amazon レビューより)

文庫で出ていたので、これが児童文学だとは気付きませんでした。(まるで素人ですね)。これは、ぜひ、中学生に読んでもらいたい。なんとなく「夏の庭」(湯本香樹実)と通じるところがあると思います。「読書家」というには、まだちょっと遠い子どもたちに本を勧めるとき、私は、その子と同じ性別の主人公が登場するものを探します。その方が、共感しやすいからです。しかし、「西の魔女が~」はその必要はないと思いました。

森の匂い、雨の匂い、空気の匂い…このお話しからはいろんな匂いが想像出来ました。それはとても心地よく、読みながらとてもやすらぎました。まるで自分も「まい」と共に「マイ・サンクチュアリー」にいるようでした。

「夏の庭」も「西の魔女~」も、年寄りと中学生との「こころの交流」、そして「」が話の核をなしていますが、大きく違うところは「死」のとらえ方。

人が死んだとき、それがとても近しい人の場合、失った悲しみに呆然となるでしょう。でも、「西の魔女~」ではそうではない。「おばあちゃんが、確かに死んだという事実」に対して「まい」は、「嬉しいのか悲しいのかわからなかった。」この場面、もし、私が「まい」なら、きっとスタンディング・オベーションのように、立ち上がって(きっと泣きながら)拍手をするでしょう。「おばあちゃん、さすが!」という具合に。私が読んだ本の中で、近親者の死に対して、こんな感想をもったのは初めてでした。

最後のページ。電車の中で読んでいた私は、奥歯をかみしめましたよ。涙をこぼさないように。窓ガラスに書かれていた伝言と、「I KNOW」という声が聞こえてくるところ、ここがやっぱり一番よかった。あたたかな気持ちで胸がいっぱいになりました。

ねばり強く毎日を確実に生きることが、魔女への近道なんだな。私も魔女になれるかもしれない。あした誕生日の私に、自分からのプレゼントをあげたような気分。

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童話完成

夏休みの宿題。なんでこんなに~?と嘆くくらいたくさん出ています。特に上の子。全教科だし、(家庭科においては「包丁名人」と題して、毎日のように記録を書かねばならない。)一つ一つに時間を要するし、おまけに新学期そうそうテストが待ってるから、そっちの勉強もしなくちゃならないし。

国語の宿題の中で、お決まりの「感想文」の他にもう一つ作文が。数ある課題の中からうちの子は「創作童話」を選びました。10日ばかり、ノートになにやら書き付けていましたが、昨日ようやくパソコンで清書し始めました。

彼にだまって、ちょびっとみなさまに…。

「なぞときうさぎ」  昔々、あるところに、うさぎだけが住んでいる村「うさぎ村」がありました。うさぎ達は、村の中でずっと平和に暮らしていました。そんなある日の朝、うさぎ村で大事件が起こりました。なんと、村の守り神である『うさぎ神』がなくなっていたのです。…略…

「よくきたな、うさぎ。これから出す問題に答えられたら、おまえ達の『うさぎ神』を返してやろう。問題。1+1。答えはな~んだ?」

………うさぎのポッピーとヤッピーが、知恵をしぼって謎解きをしながら『うさぎ神』を取り返す旅に出る話です。まぁ、よくあるパターンだけど、彼なりにノーミソ絞ったみたいです。

1+1。この答えは「わに」。

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クジラの解体

DSC01546

月曜日の朝、クジラの解体を見ました。外房の和田浦というところでです。この地域では、1シーズンで26頭のクジラを取ることが許可されています。私が見たのは、22頭目。ツチクジラという種類のクジラで、口がとがっていて、イルカに似ています。

解体する男の人たちは「解剖さん」とよばれていますが、その手際のよいこと。無駄な動きの一切なしで、見とれてしまうほどでした。2時間ほどでバラバラになります。たくさん写真を撮りましたが、かなりグロテスクなので、苦手な方もいるかと思い、解体の始まったばかりのショットだけにしました。

クジラは捨てるところがない…ということでしたが、内臓などは肥料として使うそうです。(この地方の特産「ビワ」の肥料らしい) 肉の赤身は、一般客には1キロ2700円程度で売ってくれます。

解体についてさらに詳しく知りたい方は 「和田町商工会」さんのホームページへGO!http://www10.ocn.ne.jp/~wadas/kujira.html#hogai

和田浦の海辺です。朝の散歩で撮りました。 DSC01532

白波の あとなき方に 行く舟も 風ぞたよりの しるべなりける (藤原勝臣:古今472)

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ようこそ地上へ

庭のハーブ(フェンネル)に、セミの抜け殻が。あれま、こんなかぼそい茎にしがみついていて。うちの子供も「へ~、こんなところでねぇ」なんて言ってました。いまごろどこで鳴いているのやら。セミの抜け殻を見ながら、思い出した絵本2冊を紹介します。

「セミくん いよいよこんやです」(工藤ノリコ・作/教育画劇) 森の虫たちにある日”電話連絡網”が回ってきました。「今夜なんだって」「そうか、今夜か」 長い間、土の下で暮らしてきたセミくんが、今夜地上にでてくるのです。虫たちはウェルカムパーティの準備に大忙し。アオムシはフレッシュサラダ作り、ミツバチはおいしい蜂蜜ジュースを、鈴虫は燕尾服でカルテットの練習。そして一番張り切っているのはホタルたち。なにやら図を書き相談中。…一方、出発を前にしたセミくんは長い間住み慣れた部屋をそっと振り返ります。「さよなら、おうち。今までありがと」 そして地上へのはしごを登っていきました。地上では虫たちが大歓迎!楽しいパーティの始まりです。食べて飲んでみんな楽しそう。パーティの締めくくりはホタルたちによる夜空の花火でした。見事なフォーメーション!まるでシンクロをみてるみたい。「おめでとうセミくん」「ありがとうみんな」 真夏の空の下、精一杯鳴くセミくん、生きる喜びにあふれています。 描写がとても丁寧で、ちょっとした仕掛けがたくさんありますよ。絵をよ~くみていろんな発見をしてみてね。

「大阪弁のセミとけんたの約束」(中島宏幸・作/ポプラ社) 大阪生まれのセミは、東京タワーにのぼって鳴くという野望を抱いて上京します。そこで偶然友だちになったのはピーマンがだいきらいなケンタ。「せっかく生まれてきたのに、ほんとに短い間しか生きられない。だから日本で一番高い場所で鳴いてみたいんだ!」セミは東京タワーのてっぺんで、見事鳴くことができるでしょうか。友情、約束、根性…おとなから見ると気恥ずかしい(!?)と思えるテーマが全面にでていますが、コミカルな絵と大阪弁がそれを和らげています。けっこう胸にじんときますよ。セミのど根性な性格が私は大好きです。

                    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

明日、海へ行って来ます。クジラ料理が有名なところだそうです。クジラの竜田揚げ食べたいな。昔、給食で出たようなやつ。お~、年がばれてしまうね。そういえば、もうすぐ私の誕生日なんです。

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浜崎あゆみと百人一首

浜崎あゆみの歌を聞いていて、あれっ、どこかで似たようなものに最近…と。

「Becouse of you」の中に出てくる歌詞。「君を知らなかった頃に 戻れなくなっていた」

ここんところって「あひ見ての 後の心にくらぶれば 昔は物を 思はざりけり」(権中納言敦忠)になんとなく似てませんか? 無理があるかな。 (^^;)

 みなさん(男の方)、クールビズしてます?今日、市役所に行ったら、みんなそうでした。おととい、浜松町へ行ったけど、ランチにでてくる人たちのほとんどは、ノーネクタイ。ネームプレートを首から下げているから、ネクタイがなくてもあんまり違和感ないのかもしれません。襟首のあたりがヨレヨレしてなくて、シャキッとしててほしいなと思います。

                   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「福音の少年」読み始めました。おぉ、あさのワールド全開だ~。「NO6」での”ネズミ”は優美な手の動きで、私の心に食い込んできましたが、今回は”声”。あさのさんの描く少年って、そのへんにはちょっといないよなぁ。…というか、私が巡り会ってないだけなんだけど。

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会いたかった

「福音の少年」(あさのあつこ・作/角川書店)にやっとあえました。池袋で。表紙の絵が「ふふっ」って笑ったように見えた、ホントに。

早く読みたいのだけど、手にした事がすごく嬉しくて、気持ちが完結してしまっている…。こんな事ってないですか?

読むのもったいないな~。話に入る前の「どんなんかな~」のわくわく状態。

さて、エンジンキーを回して、出かけましょうかね、福音の少年のところへ。

                 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「五番目のサリー」読みました。おもしろかったです。うまく出来てるなぁと思いました。第一の人格である「サリー」に、一人ずつ、別人格が融合していき、それぞれの性格がつけ加わった「NEW・サリー」が誕生して、物語は終わり。ハッピーエンド。

わたしは、記録係(トレイス)である「デリー」が一番まともな人格だと思っていました。楽天的で、気が利いていて。でも、読み終わってみると、そうじゃない。実はとても恐がりで寂しがり。明るく元気なのはその裏返しなんだなと思いました。「デリーの人格」が生まれ出た事件は、「ジンクス」とそれと同じくらい悲惨だった。「死」が絡むと、人の心は悲しみ、恐れ、怒りを表に出すか、まったく隠してしまうか…どっちかへ傾くのでしょう。心のバランスを取るために。

最後まで残った人格「ジンクス」が、融合し、ついにたった一人のサリーへと生まれ変わった時、サリーは喜んだ?いいえ、泣きながら叫ぶのです、自分を導いてくれた精神科医に向かって。「あなたを愛してる、でも憎んでる、どうしよう」 ここがよかったなぁ。

へたくそな感想文ですみません。

 

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